プロフィール

西田光弘 代表取締役 一人ビジネス経営戦略コンサルタント

こんにちは 西田光弘です。なぜ「起業5年生」なのか?なぜ「経営戦略」なのか?

なぜ「5つ☆(ファイブスター)起業家」なのか?西田の背景を知って頂くことで理解が深まればと思い、

初めて露出する内容もたくさん書きましたので少々長くなりました。ゆっくりお読みくださいませ。(2011年7月31日 記)

 

名前 西田光弘(にしだ みつひろ)
生年 1967年11月
年齢 43歳
出身 東京都目黒の日本初のアーケード型商店街のある武蔵小山に生まれ
横浜で育つ。

■小学校時代

小学校1年生の夏に横浜に転入する。あまりの緑の多さにビックリした記憶がある。
4年生の時、学校紹介番組で神奈川テレビで紹介され司会を務める。
そのころから「ファシリテート」が好き。

6年生の時に少年野球で野球が上手いだけで性格の悪いヤツがキャプテンになり
絶対おかしいと思い退部した。 「最後までやれない自分」の原点だったなぁ、と。

この頃の「夢」は学校の先生か大工さん。
しかし、先生はピアノが弾けないとダメと知り早くも断念。
大工さんは叔父に儲からないぞ、と言われこれもあっさり断念。

※以後、あっさり断念してしまうことのない「本当にやりたいこと」はあるのか?と迷走の人生が始まる。

■中学~高校時代前編

軟式テニスをやりながら肉屋の友人の当時高校生の兄貴に触発されてギターを始める。
高校もバンド活動が盛んな地元の公立を選び、進学、軽音楽部、バンド活動にいそしむが、
超絶にうまい友達から「毎日8時間は弾いている」と聞いて
「自分はギターがそんなに好きじゃない」と気が付き、バンドから脱退。

バンドメンバーが後に地元のロックフェス「ホットウェーブ」で優勝、プロとなる。
肉屋の兄貴は今も現役のプロ。ここでも「やめて、最後までやらない自分」に嫌気がさす。

※才能のない分野かつ興味のない分野ではうまくはいかないことをなんとなく知る。

■高校時代後編

 

高校3年の春、親から「出て行け(誰しも親子げんかで言われますが普通は出ていきませんよね(笑)」と言われ、

春休み中に家を出て一人暮らしを始める。家を出た理由は新興宗教。

※真理を知りたい欲求は今に続いている。

 

深夜2時までラーメン屋(2食付き!)でアルバイトをして高校に通うが、夏休み頃、友達に受験について尋ねられ

「そうかもう夏から受験生なんだ」と、 このままだと受験勉強ができないことに気が付く。


受験勉強後半に賭ける=秋以降~受験終了までの生活費+大学学費を稼ぎ出すために卒業までの全授業数を計算し、

留年しない分だけ出席しあとはすべて、アルバイトを2つ掛け持ちした。学校では「西田が失踪した」ことになっていたらしい。

 

予定通り秋から4畳半のアパートで一人受験勉強に費やし無事合格。

まあ受からないと思い、クラスの同級生と浪人用コミュニティ「君も会」創設するも一人合格し、裏切り者と言われる。

受験最後の1週間は金もなくなり、食パン1斤・8枚切りで過ごした。1日食パン1枚、、、。

 

■大学時代

 

前期の学費は納入したモノの、すぐにやってくる後期学費の納期のために入学後すぐさま、またまた、アルバイト二毛作を始める。

昼は清掃員、夜~翌朝まで歌って踊れるパブ店員。ほぼ大学行かず・・・。なんのために入ったのやらで他にも数々のバイトをする。

どんなバイトでも初日でも今日一日は「プロ」と思って取り組んでいた。

※この頃から「プロ」という仕事観が生まれ今も変わらない。

 

配膳のアルバイトで行った派遣先では、派遣元から何度も引き抜きの声をかけられた。

いかに全体を見渡し効果効率的に仕事をやりやすく作り替えるのが得意だったからと後から分析する。

 

この頃、バイク・車にはまる。少し広いアパートに引っ越し、壊れたオートバイを部屋の中に入れ、

エンジンを降ろし、ピストン交換を「オートメカニック」だけを頼りに実行。車もなんでも自分でやった。

※あとから分析的に見れば分解し、構造化することに興味と強みがあることに気が付く。

 

■社会人

 

どう考えても大学に行く時間も意義も分からず、大学3年で中退。

「ビーイングで探した「国際金融」をリード、勤務地は渋谷!」にひかれ、就職する・・・・・・なんと商品先物取引。

バブル時代最終コーナーの営業職。数努力すれば売れ一年目トップ営業になる。

営業給に海外旅行に六本木に高級ブランドと...バブル典型の生活。

 

この頃、怪しげな自己啓発セミナーが大ブームで人生で始めて参加し以来、自己啓発・成功哲学・スピリチュアル系にはまる

※ビジョンとかミッションとかいう言葉に汚染され人生のテーマになる。

 

●1991年

同時に自己啓発の○百万円するセットを買う様になる。3年目に子供ができ、職場でき婚。

子供が生まれた半年後に「人生の夢」を追いベンチャー起業家とやらに憧れ、退職。

 

■人生の転機その1~商人との出逢い

 

●1992年~1996年

 

あえなく人生最初の「起業・独立」の手痛い洗礼を受け、起業は断念。下町の清掃会社の社長に拾われる。

4年間間近で経営を見て、商売を見て、金儲けの面白さに触れる。

 

清掃会社にありがちな孫請けに甘んじない社長の経営方針で営業は飛び込み営業の直受注のため圧倒的な利益率だった。

受注した仕事を自分でバイトを集め、現場を手配し、ポリッシャーを回して掃除し、

請求書を出して、回収をしてリピートもしてもらう、というミニ経営を体験し、商人としてのお金の哲学もここで学ぶ。

社長はお金教育をしてくれた。毎月入る若い頃に出資した会社からの報酬。下町の生活での生活レベルの低さ。

お金が減らないので、毎月の本業の給料が減らないことを通帳を見せながら解説してくれた。

あとから金持ち父さんの本で、あれは「ビジネスオーナー」というスタイルだと知った。

さらに、退職する頃には同社長がサラ金(合法な貸金業)を始める。

「西田君、金貸しはいいよ、正月もお日さんがポンと昇るとまた、儲かっちゃうんだからね」と今でも忘れられない。

少なくても4~5の「不労所得」を見せてくれていた。

※金持ち父さん以前に「不労所得のシステム」を目の前で見ていた。
※ただ、これは「儲かるビジネスモデル」だが一生やる「本当にやりたいこと」とは思えず。

 

自分で起業することを再度志すがいまだ独立してやっていくほどには営業力には自信がなく、

営業力が付けられて、退職後も看板が効きそうな転職を心に決める。

※この頃から「トロイの木馬作戦」「本業・修行モード」でモノを考えるようになっている。

 

■2度目の転職~アメリカ最大の資産を持つプルデンシャル生命のライフプランナーとなる。

 

入社からブルーブックという研修システムに基づいた営業研修の毎日と

その後24ヶ月間も営業研修期間というシステムの中で徹底的に営業を学ぶ。


会社が提唱する紹介型での無限連鎖に疑問を感じ、当時思いつく色々な営業法を試す。

コンサルティング営業のライフプランナーでは論外と言われる飛び込み営業でも

安定的に開拓~紹介~地域に根付く方法を実践する。

余談だが、渋谷の大きな交差点で、声をかけ、喫茶店に誘い、保険の話をし、加入契約なんてこともできた。

 

とはいえ、まぁ儲かるけど、これが一生本当にやりたいこととは思えず、

全くお客さんを増やせず(食うに困らない最低限だけ売れていた)肩を叩かれる。

 

在職後半から希望の天職である「教えることで起業するか」得意なことでお金になる「パソコンサポートで起業する」で悩んだが、

稼ぐ力を優先させ、在職中から大手プロバイダーでテクニカルコールセンターでサポートの量稽古を積み始めていた。

※この頃所属していた異業種交流で、夢を語る大事さを知る。当時語った夢は人生を通して一貫している。

 

「日本発(初ではなく)の凡人の凡人による凡人のための成功哲学体系を作り上げること」

 

起業家第1ステージ:家族のためにも死なないようにとにかく稼ぐ

 

■パソコンサポートと人材派遣ビジネス

 

●2000年4月起業

 

保険会社の元同僚を基盤に紹介営業を徹底し、法人のパソコン保守顧問契約に結びつけ年収1000万円を突破する。

同時にIT分野ネットワーク技術職専門の人材派遣会社を設立。

 

●2002年4月

 

2年目に月商1000万円を突破し、3年目、月商2000万円になる頃には毎日していることは、

1.資金繰り、2.スタッフの相談承り、しかも高い給料を払うことがいいこと、と勘違いし、

やっていることの意味が分からなくなり、派遣ビジネスから撤退。あらためて、一人型を模索し始める。

※本当にやりたいことと儲かることの不一致⇒本当にやりたいことで儲かることへビジネスの構築の模索

 

起業家第2ステージ:単に稼げることから「本当にやりたいこと×稼げること」にシフト

 

■一人ビジネス経営への傾倒・傾注

●2002年8月31日 

 

パソコンサポートの新規受注をすべて中止&同業技術仲間にクライアントをすべて委譲。

2002年10月 教え業=本当にやりたいことで再スタートする 

凡人の凡人による凡人のための成功哲学体系作りに着手する。(今もその延長線にいる。)

 

2003年10月 『1人ビジネスであなたも年収1000万円稼げる!』を上梓以降6刷となるほど人気を博し、以後、著書に『1人ビジネス完全マニュアル』 『間違いだらけの自己投資』がある。

『1人ビジネスであなたも年収1000万円稼げる!』は

当時まだ目新しいアマゾンキャンペーンで83時間連続総合1位となる。

これは自然現象ではなく「マーケティング」として意図しての結果。

起業の必須スキルとして集客・マーケティングを学び磨くのは今も昔も同じで

磨いては実践すると結果が現れるので楽しくなりゲーム状態となり、一種の麻薬中毒・ハイ状態になる。すると・・・・・・

 

▼拡大とコンサルティングと違和感

 

▼同年に始めたメルマガはスタート時から12000部の集客となり、当時は異例のこと。

▼一人ビジネス大学を始める~立て続けの出版~雑誌への露出

▼100人・200人単位のセミナー(参加費30,000円)他のゲストによる集客やイベント参加ではない単独のセミナー集客

▼リクルートの「アントレ」セミナーでは過去最高の集客を記録する(その後更新される)

以降、1人ビジネス起業家をサポートし続け累計客数8000人超。

 

こういうスキルと結果が増長し、集客・マーケティングに自信があると会社はどうなるか...。

 

   ⇒ ゲーム自体が目的になってしまう規模の拡大へまっしぐら

 

より大きな売上より多くのスタッフ雇用、より大きな社会的使命と根っこ無き迷走を始め、

声を聞きつけたクライアントにマーケティング面で数多くの法人コンサルティングも。

店舗数30店舗強・数十億の路面型ビジネスから上場会社のフランチャイズ事業部内のフランチャイジー教育や

マーケティング施策監修という規模からスタッフ10人規模のマーケティング・WEBマーケティングをコンサルティングしてきている。

もちろん専門の一人ビジネス経営・個人事業主へのコンサルティングも。

 

《コンサルティング実績》

 【規模大】 ↑   

 

 

 

 

 

 【1人型】↓

売上高70億 路面ビジネスへのコンサルティング
上場パソコン関連ビジネスにフランチャイジー教育コンサルティング
年商が×0億というネットよりもバリバリの物販の会社
流通卸である地方の最大手で従業員数十人の会社
個人の能力ではないコンサルティングを商品として大量に提供している会社
個人の能力で引っ張っているコンサルティング会社
雑誌等のプレスでのブランディングをメインでビジネスを構築している個人・会社
年商数億くらいのシステム開発のような高付加価値提供型ビジネス
年商数億を数人でやっている、ニッチビジネス
HP製作のような労働集約型ビジネス   
全くブランディングを用いないセミナー事業
外資系生命保険の独立個人事業主のような人
個人でリアルの通学型のスクール事業をやっている人、
ネットもセミナーも駆使している社労士さん

※西田注:集客・マーケティングですから業種・サイズを問わないんですね。 自分が200人のセミナーを集客をしたことがあるなら、
集客をしたことがないクライアントにも200人のセミナー集客は実現可能で実際に結果が出ました。ですので掲載の業種は多岐にわたっています。

「コンサルティングをし、自分も磨く」これを支えるのは今や時代は流れ必須の技能の感のあるセールスライティング技術が支えている。

 

WEB集客では成約率1%で優秀と言われる中、5%・7%が基準としている。もちろん今も現役として鍛錬は続けている。

構造化が得意で例えば、PPC(クリック課金型広告・アドワーズなど)PPCコンサルをビジネスとしている人に

PPCの技術や経営コンサルティングをするなんてこともあるほどPPCにも精通してしまう

などつねに集客スキルは磨き続けていることが結果を支えている。

 

しかし、またまた違和感。

 

 ⇒ これは本当にやりたいこととではない!と

 

集客は経営の「1側面」でしかなく、集客やマーケティングのコンサルタントとして

できるけど、得意だけど、「本当にやりたいこと」でそこに特化して勝ち続ける才能も情熱も無い。

これは高校時代のギターと通じるところがある。

 

しかし、ギターのように簡単にやめられないのが経営

スタッフがいる、一定の発注量を見込んでいる関係外注さんがいる。

※本当にやりたいことでもないのに、意味不明の「スタッフのためのビジョンメイキング」とか

 「経営計画書・方針書」とかを求めてさまよい始める。

※え!だって、やりたくないのに、、、なんでこのゲーム降りられないの・・・手法だけの成功体系の欠陥をみた。

 

■人生の転機その2 ~経営戦略との出逢い

 

●2005年~現在

 

経営戦略や事業・ライフプランニングの師匠である通称:チャオと出逢う。

「経営戦略」に以後どっぷりとはまり、集客・マーケティングと同様、実践を重ね、腕を磨き続けている。

 

※戦略と名の付くものは数あれど、経営戦略より上位にあるのは「人生戦略」以外はないというほど最上位の「経営戦略」に惚れ込む。

この経営戦略が無いからむやみな「拡大賞賛価値観」が蔓延して多くの起業家が悩んでいるんだと腑に落ちる。

 

「経営戦略」などという用語・概念が全くない一人ビジネス経営に応用・実践的に使えるように日夜奮闘中。

※経営戦略こそがまさに凡人の凡人による凡人のための成功哲学にふさわしい要素となり5つ☆経営の原型となる。

 

この頃、結婚生活十うん年で離婚を経験し、まだ当時、園児の長男と2人暮らしとなり、炊事洗濯家事育児の必要に迫られる。

結婚と起業を振り返り、ライフスタイルとして家庭人の時間を長く取り、かつ、事業は本当にやりたいこと×稼げることと融合し、

「意味不明な夢・ビジョン」に人生を翻弄されないビジネスのスタイルを追求するべく事務所を閉鎖。

一人ビジネス経営を追求する覚悟が決まった。

 

※事業は矛盾の解決、問題は解決を伴ってやってくる。

おかげで5つ☆起業家・5つ☆経営のコンセプトにたどり着けたと言える。

 

起業家第3ステージ:「本当にやりたいこと×稼げること」にレバレッジを掛ける

 

自身が起業11年目を迎える直前の2010年末に今までサポートしてきた「起業志望」の方へのサポートを「全部やめます」宣言をする。

2010年後半にかけて定期コンサルティングを常時上限10社契約していたがすべてのクライアントにこちらから契約解除を依頼。

自分・自社のすべての資源を選択投下することを決める。

 

8ヶ月の充電期間を経て、2011年8月「起業5年生のための経営トレーニング」をスタート。

現在、あらたな結婚生活に向けて、今を楽しんでいる。

 

■将来の夢

 

ホールパーソンクラブの運営 :Whole Person =全人格者というくらいの意味

 

■保有資格

 

一切の資格という資格に価値を感じられないので、無資格(自動車免許さえ(笑))

 

5つ☆起業家の5つの☆とは

☆本当にやりたいこと

☆夢・ビジョン

☆戦略

☆お金

☆仕事力

この5つが揃った起業家になろう、そしてそのプロセスが必要なのが起業5年生

起業5年生に必要な理由はこちらから