もっと抱っこしましょう、続きです。
「あら~、おねぇちゃん(おにいちゃん)なのにはずかしい」などと言います。
それ以外にも、とにかく一人で自分でやれるようにすることが良いこととして 「自分でやりなさい」と言います。
メルマガでも、それから個人に直接でも僕の個人的な考えですが、
「もっと抱っこしてあげてください」(少々腰が痛くても疲れていても) 「もう生涯抱っこできないかもしれないんですから...」
僕自身、今も、もちろんその通りに実行しています。 今小学校2年ですが、抱っこもするし、おんぶもするし...
「え、そんなことしていたら独り立ちが...遅れるのでは?」
遅れたからなんなのでしょう?
いずれ、遅かれ早かれ、独り立ちされてしまうのです。
(障害をお持ちとかそうでないケースもあるかもしれませんが一般に) 中学校になって、抱っこさせてくれる子はいません。着替えも手伝わせてくれません。 そんなこと口にしただけで「きも!」「変態!」かもしれませんよ(笑)。
おんぶなんて、一体何歳までさせてくれるでしょう。 肩車だとさらに何歳まででしょう。
そんなことを以前書いたら、 先日、「西田さんはやはり目の中にいれても痛くないのでしょう?」と聞かれました。
世の中には本当に目の中に入れても可愛くない、と 心から思っている人もいるでしょう。
僕は「いえ、そういう風ではないですよ」と言ったら 「え~~?」と驚かれました。
僕は「《今》が最後の一回、最後かもしれない」と思っているだけです。
着替えの手伝いが最後かもしれない、 遊びが最後かもしれない 抱っこが最後かもしれない 添い寝が最後かもしれない。
子供はある日、突然、それができる日が来るし、 それをもう必要ないという時が突然きます。 今はまだ、熱が出れば、腕の中で寝ることに安心してくれます。
なので、僕はとても利己的です。
もちろん、親ばかならぬ、 子離れできない「バカ親」までそうするほどに利己的だというのではありません。
だからこそ、 そんな利己的な自分の欲求を満たすためにも それを実現できる仕事のスタイルを求めていくことと利己さが必要で、 そのためには「時間:収入」で効果効率的に仕事を運ばねばならなくて それが実現すると言うことは
結果的に、相応の収入と同数の誰かに役に立ったことになります。
子供をもっと抱っこしたいという利己的な欲求から始まって 結果的にそれを実現できると、多くのお客様に喜ばれてしまう。
なので、自分の利己的な欲求って、
中途半端に「多くの~ため」とか「社会に~するため」とかを掲げたときよりも 「~ために」なってしまうんです。
僕が利己的に抱っこしたいだけです。
子供と一緒に寝る時間、遊ぶ時間、 子供とふれあう時間も増えてしまうんですからおかしなもんですね。
もう一度確認ですが、子供のために抱っこする時間や 遊ぶ時間を作るのではありません。一人ビジネス経営においてはくれぐれも 「きれいごと」を第一義にしないほうがいいと思います。
こんなことを書くと、お客さんを大事しないのか?と思うかもしれませんが...。
矛盾無く成り立つのですね、これが。
自分の第一義を成り立たせるために自分の誰かに役に立つための能力が 誰のどんな場面に役に立つのかを一生懸命考えなければならなくなるのです。
くれぐれもくれぐれも、
お客様のため、子供のため、家族のため、と 自失して利他をしないことをお勧めするし、 私利私欲を純粋に高めたほうが利他が実現するのですから
利他を公言しないことです。
西田 ▼ | ||
「ちゃんと」考えたい5つのこと |