河川敷と日の出と成功と。

新年おめでとうございます。そして本年も変わらずコツコツ・淡々とよろしくお願いします。

 

今朝は早朝からジョギングに出たのですが...初日の出・富士山きれいでしたね。

 

いつも同じコースを走るのですが、もともと地元ですし河川敷を走るのですが

そのときに感じた・思ったことを年初のメルマガ一発目ご挨拶とさせて頂きます。

 

以下はすべて、独り言です。(笑)独り言を読んでもいいとしたら...どうぞ。

 

河川敷って堤防整備や周りのマンションなどはそりゃ隔世の感ですが、

全体の景色は大きくいえば全く変わりません。

5年前・10年前、もっと言うと子供の頃野球をやっていた河川敷とそう変わりません。

小津安二郎の映画とも似た感じが変わらないんですね。

 

あまりにいい天気で少し立ち止まって昇りかけの輝く太陽が照らす

変わらない河川敷の景色を眺めていた

「10年前と...、、はて、自分は何が変わったのだろうか?」と問いたくなりました。

 

変化は良いこと、とか変化する物だけが生き残るとか種が続くとかいうけど

河川敷を見て、な~~んにもかわらないよな、、。

 

そんなうそっぱちに汚染されていないか?とも考えていました。

 

ビジネスとか事業の面で考えれば、毎月ある一定のお金があれば、

事業自体は存続するし生活もできます。

その金額はさほど大きな金額ではありません。(昨日の経費最小とも関係しますが)

 

ますます、何のために変化をするんだろう?とか

何のために目標とか決めるんだろう?なんて思うわけです。

(こんなことを常に問うているので夢セミナーとか作っちゃうのですがね、、、。)

 

目標とは計画的に現実と対立すること、ですから、変わることが前提です。

 

なんか変化も成長も欲望を満たすことも仕事の達成も全部うそくさくないか?と

社会人以来ずっと言われてきたから

それ以外の価値観が無いくらいに洗脳されていますよね。

もしくは存在してもそれは劣った価値観でしかない、と。

 


8000年変わらないニューギニア


『銃・病原菌・鉄』でジャレッド・ダイヤモンドが

冒頭で例示するのがニューギニアの例です。

 

農耕をしているのですが8000年変化も進化もしていないのです。

(少しは道具を使っていますが8000年の時間軸に対しては0といえる程度です。)

 

しかし、「貧乏」です。そしてどの国も日本もアメリカもそうですが

貧乏を脱するには「教育」だという、これも一つの価値観が刷り込まれています。

教育は貧乏を脱するための「費用対効果」のいい「投資」のように。

 

で、そこで生産される「働きマン」は市場に足を突っ込んでしまい、

良い取引で労働力を売って(買い手がいれば)

その労働力を安価で買うことで事業を成功させる「経営者」がいる。

 

ニューギニアは進化も変化もしていないので、市場化も資本化もしていません。

でも客観的には貧乏です。

 

「~なら幸せだ」とかそういうぼんやりした話がしたいのではありません。

 

貨幣とか資本とか市場とか消費とかそういう世界に僕らは住んでいます。

 

するとやっぱり「貧乏」は嫌です。

 

駅前にあるストアーでは変える食べ物たちはそそられます。

時間が来たら大量に廃棄することによっていつもこぎれいな食べ物製品が並んでいます。こんなに快適な生活からもう抜け出せないよなぁ、と。

 

でもそれは、消費期限とか賞味期限とか「字」で書いたことしか信じられない

自分の舌・味覚や鼻・嗅覚で腐った物を判別できなくなった馬鹿なぼくら消費者が

(僕は自分の舌と鼻を信じているので一切消費期限とか賞味期限なんて見ないです。)

こぎれいな店作り、「製品」を要求しています。

 

余談ですが、消費期限とか賞味期限とかで騒いでいるヤツがいると

ゴミ箱から拾って口に突っ込んでやりたくなります。(できませんが...)

 

変化も進化も目標も成功も達成もみんな選択肢のはずなのですが

今、時代が、目標とか成功とかそういうものを目指さないことは

負けかどうかは別として「勝ち」ではないと押しつけてきます。強烈にです。

 

そのことと消費期限とか賞味期限は無関係ではありません。

消費期限とか賞味期限にうるさい馬鹿な消費者たちという「変化」に

対応しないと事業が死ぬから、変化せざるを得ないなんてもの一つの側面です。


どんなルールにコミットするのか?


 

それは、【進化・変化・成長という「ルール」で生きる】

 

と事業としてコミットしてしまったからです。

 

僕らが事業になにがしか携わっていて、目標とか成長には

「どのように」取り組んだら自分にとって快なのでしょう?

 

ただ、成長すればいいの?いや、ぼちぼち死なない程度にやればいいのさ、、

とか、事業をやっているとやっていない人よりもより、自己決定したことが

人生を大きく左右「できます」。します、ではなく、「できます(可能)」ですね。

 

ならば、何で目標とか変化とか成長とか達成とか数字とか資本とか貨幣とか市場とか

そういうものを求めるのか?をはっきりと自分が知っている・わかっていた方が

どんな選択にせよ「割り切れ」ます。

 

消費期限とか賞味期限だって、

 

「そういうルールが存在するゲームに入った」

 

自分で再選択すればどんどん馬鹿な消費者にあわせていけばいいんです。

理不尽でもどんどん捨てないといけないんです。

 

消費期限とか賞味期限はたまたま筆の勢いで出てきた話題ですから

こんな話はいくらでもどんな業界でもあります。物を売っていようと、情報だろうと。

 

そこのところをはっきりとわかっていない、知っていない、選別していない、選択していないとしたら、たとえ事業でも儲かっていても、損していてもそんな数字が重要ではなく、

映画「マトリックス」の人間電池かもしれません。

 

だからこそ自分の価値観と経営計画をすりあわせるセミナー

1月15・16日開催します。→ こちらから

 

現代の日本×今すでに事業をしている、としたらそんなに選択肢はありません。

だからこそ、選択できる可能性を常に広げ続けないと、気が付いたら

「やむにやまれず」「ついつい」「しょうがなかった」みたいな

選択をしなくなるかもしれません。

 

組織にしている人はさらに選択肢は少ないのですが一人ビジネス経営は

組織でない分選択肢が多いです。

 

ことし一年、そして10年。